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創立について

米国教会の女性たちの善意で創設されました。

1908年(明治41年)に米国・ペンシルベニアの一教会に「日本にキリストの愛に根ざす女子の学校を」と5ドルの献金が捧げられました。やがてそれが全米のルーテル教会を巻き込む運動となり、米国婦人伝道局が17万5千ドルを目標に募金活動開始しました。そして2年間でなんと25万ドル(今のお金で約25億円)が集まりました。こうして1926年(大正15年)、熊本に誕生したのが、本学院の前身である九州女学院です。

マーサ・B・エカード先生

初代院長 マーサ・B・エカード

 1887年(明治20年)4月17日、テネシー州ブロンドヴィルに、9人兄弟の次女として生まれました。
 18歳で高校の教師となりますが、ルーテル教会が佐賀県での幼稚園伝道に力を入れていることを知ったエカードは、1914年(大正3年)、26歳のときに米国ルーテル教会最初の独身女性宣教師として来日。
 東京での2年間の日本語学習のあと、ルーテル教会最初の宣教の地である佐賀県に赴きその後は久留米・福岡などで保育事業に専念しました。
 1922年(大正11年)、熊本でのルーテル教会総会において、「日本にキリストの愛に根ざす女子の学校を」という米国教会の女性たちの善意で本学院の前身である九州女学院が創設されることになり、院長候補として35歳のエカードが選出されたのです。
 そして1926年(大正15年)、九州ルーテル学院の前身である九州女学院初代院長に就任しました。
 開校初年度の入学者数は70名で、エカードはすべての名前を覚え、「さん」付けで呼んでいました。おそらく、母校マリオンカレッジを思わせる温かいクリスチャンスクールの雰囲気にあふれていたと思われます。
 太平洋戦争のために1941年(昭和16年)に帰国を余儀なくされ、日本を離れましたが、終戦後の1946年(昭和21年)、責任感の強いエカードは、学院標語である"感恩奉仕"(神の愛に感謝し、隣人への奉仕に生きること)を体現するように、いち早く熊本に戻り、戦時中軍国主義の支配下あった学院の立て直しに献身しました。
 1955年(昭和30年)、引退して帰国。九州女学院との別れにあたり、次の言葉を残しています。
 「私は、自分の生涯を振り返り、三つの幸せを持つことができた。一つ目は私が若い日にイエス様に出会えたこと。二つ目は私が神様に導かれて、九州女学院にくることができたこと。三つ目は九州女学院で学んだ多くの卒業生たちが、母となり、あるいは様々は職場で働きながら、学院で学んだことを心に秘めつつ、美しく生きていることを信じることができること」。
 1969年(昭和44年)、ワシントンD.C.にて召天。82歳。生涯「感恩奉仕」の人でした。

1908年 明治41年   米国ペンシルバニア州のインマヌエル・ルーテル教会で、「日本に女子学校を作るために」5ドルが献金された
1921年 大正10年 9月 北米一致ルーテル教会婦人伝道局総会で、日本に女子学校建設を決議
1922年 大正11年   日本のルーテル教会第3回総会で、女子学校設立を決議
1923年 大正12年 1月 米国婦人伝道局が17万5千ドルを目標に募金運動開始。2年間で延べ30万人から25万6182ドルを募金。特に、オハイオ州のジェームズ夫妻は、日本への宣教師を夢みて8歳で夭折した娘ジャニスのために特別多額を寄付。
新しくできる学校は「Janice James School」と呼ばれることになった
1925年 大正14年 12月 私立学校認可申請を熊本県知事に提出、翌年2月認可
1926年 大正15年 4月 九州女学院を5年制のキリスト教主義の女学校として開校。初代院長マーサ・B・エカード
1928年 昭和3年 10月 10月3日、高等女学校令と同等の学力のあるものとして文部省の指定を受けた。以後10月3日を創立記念日とする
1931年 昭和6年 2月 修業年限5箇年指定(高等女学校高等科入学資格)
    3月 第1回卒業式
1941年 昭和16年 11月 九州女学院財団法人設立 校名は九州女学院高等女学校となる
1943年 昭和18年 4月 戦中の国策に沿うように四年制高等女学校となり、清水高等女学校に校名変更
1946年 昭和21年 3月 同窓会「のいばら会」発足
    6月 五年制高等女学校へ復帰 九州女学院高等女学校となる
1947年 昭和22年 4月 九州女学院中学校 設置。(新制)
1948年 昭和23年 4月 九州女学院高等学校(新制)および九州女学院幼稚園を設置
1975年 昭和50年 4月 九州女学院短期大学 開学
1985年 昭和60年 4月 九州女学院短期大学 開学10周年記念式典挙行。
1986年 昭和61年 4月 九州女学院短期大学臨時入学定員として英語学科の入学定員を200名に改正、九州女学院短期大学2号館落成
1990年 平成 2年 4月 九州女学院短期大学 開学15周年記念式典挙行
1993年 平成 5年 7月 九州女学院短期大学体育館、研究室棟(3号館)竣工
1996年 平成 8年 5月 九州女学院エカード会館、1号館別館増築竣工
1997年 平成 9年 4月 九州ルーテル学院大学[人文学部人文学科(入学定員150名・男女共学)]開学
1998年 平成10年 3月 九州女学院短期大学最終在学生の卒業後、同短大を廃止
2000年 平成12年 10月 野々島グランド完工(熊本県合志町)
2001年 平成13年 3月 同窓会「結会」発足
2001年 平成13年 4月 九州女学院中学・高等学校からルーテル学院中学・高等学校と校名を変更し、男女共学校となる。法人名を、九州女学院から九州ルーテル学院に改称。さらに、九州女学院幼稚園からルーテル学院幼稚園と園名変更
    7月 中学高校男子寮竣工
2002年 平成14年 10月 大学4号館竣工
2003年 平成15年 7月 菊南グラウンド完工
2004年 平成16年 4月 九州ルーテル学院大学 心理臨床学科を定員75名、人文学科を定員75名とする。1学部2学科制となる
2006年 平成18年 4月 九州ルーテル学院大学大学院(人文学研究科障害心理学専攻)開設
2007年 平成19年 4月 九州ルーテル学院大学 人文学科を人文学科キャリアイングリッシュ専攻と人文学科こども専攻へ編制
2011年 平成23年 4月 九州ルーテル学院大学 人文学部人文学科こども専攻を、保育コースと児童教育コースに編制
2013年 平成25年 4月 ルーテル学院幼児園開設
2015年 平成27年 4月 ルーテル学院幼稚園、幼児園を幼保連携型認定こども園「ルーテル学院幼稚園」へ移行
2016年 平成28年 4月 熊本市立黒髪乳児保育園は熊本市から本学院に完全移管され、九州ルーテル学院大学付属黒髪乳児保育園として開園
2017年 平成29年 4月 九州ルーテル学院大学 人文学部人文学科こども専攻(入学定員50名)、心理臨床学科(入学定員65名)に変更

ジャニス・ジェームズ(Janice James)1914-1922

 本学院が誕生するにあたって、一少女にまつわるエピソードがあります。
 1914年(大正3)、北米オハイオ州に住むJ・ウォーレン・ジェームズ夫妻に、ジャニスという娘がいました。ジャニスは幼くして信仰と愛に富み、日本で行なわれている伝道の話を聞いていたそうです。ジャニスはその時から、大きくなったら日本へ行って、日本の人々のために自分の一生をささげたいと希望するようになりました。しかし不幸なことに、8歳の時、ジャニスは突然召天してしまいます。
 ちょうどその頃、日本に女学校を建てるための募金運動が開始されたことを、ジェームズ夫妻が知り、これこそ亡き娘の望みに沿う神の定めた計画にちがいないと信じ、多額の寄付を申し出ました。
 ジャニス・ジェームズという少女の心に宿していた希望こそ、学校のめざすものと同じであるところから、米国の募金本部は、この新しい学校の名称を「ジャニス・ジェームズ・スクール」と命名し、日米間の控文書にはこの校名が用いられ、また当時の校門には「九州女学院」と並んで"Janice James School"の校名が掲げられました。

ジャニス
ジャニス・ジェームズ


九州女学院の下に"Janice James School" [写真右 - 拡大]

ルーテル学院幼稚園の設立/ 初代園長 メアリー・ヘルティブライドル

初代園長 メアリー・ヘルティブライドル

 1904年(明治37年)メリーランド生まれ。1927年(昭和2年)キリスト教伝道のために来日し、クロンク幼稚園(現・神水幼稚園)の二代目園長を勤めました。
 1947年(昭和22年)九州ルーテル学院の前身である九州女学院に赴任しました。幼児教育に深い関心を持っていたメアリーは1948年(昭和23年)に熊本県より許可を得て、高校体育館更衣室に幼稚園を開設し、自ら園長に就任しました。最初の入園数は21名でした。
 その6年後の1953(昭和29年)に園舎を竣工、さらに1985年(昭和60年)に現園舎が竣工され、2001年(平成13年)にルーテル学院幼稚園と名称変更し現在に至っています。

ルーテル学院幼稚園
現在のルーテル学院幼稚園